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古のロマンのまち「さかいで」 崇徳上皇ゆかりの地②
2017/08/17
今回は、坂出市にゆかりの深い偉人をご紹介いたします。
本日は、先日ご紹介いたしました「崇徳上皇」の第2弾です。
坂出市のゆかりの地を7ヶ所ご紹介いたします。
*長命寺跡
江戸時代の地誌「綾北問尋鈔」では、こここそが雲井御所であったとされています。
しかし、長曽我部の兵火によって焼失したといわれています。
雲井御所の名前の由来となった歌も、長命寺の柱に書かれたものだったそうです。
現在は石碑が建つだけとなっています。
坂出駅から車で約15分
*鼓岡神社
崇徳上皇が御所とした木ノ丸殿があった場所です。
雲井御所からこの地に移り約6年間、都からの便りを待ち望みながら
1164年に崩御されました。
その後、崇徳上皇を祀ったのが鼓岡神社です。
讃岐府中駅から徒歩11分
*擬古堂
1913年に崇徳天皇750年祭の記念事業として建設されたものです。
この建物は、木ノ丸殿の雰囲気を擬して造られている為、擬古堂と名づけられました。
讃岐府中駅から徒歩11分
*ほととぎす塚
鼓岡神社の石段脇に小さな供養塔があります。
崇徳上皇が過ごしていたころ、ホトトギスの鳴き声を聞いて都をしのび、
「鳴けば聞く 聞けば都の 恋しさに この里過ぎよ 山ほととぎす」
と詠み、これを聞いてホトトギスがさえずるのをやめたという伝説があります。
讃岐府中駅から徒歩11分
*内裏泉
鼓岡神社のすぐ北にあり、崇徳上皇の飲料水として利用されていた井戸と
伝えられています。
この水を使うと目が悪くなるといわれ、地元の人も使わず大切にしていたそうです。
讃岐府中駅から徒歩12分
*菊塚
崇徳上皇と綾の局の間に生まれた皇子を顕末(あきすえ)と名付け、
菊の紋をつけて綾の局の父、綾高遠に賜り綾家の跡継ぎにしたといわれています。
この皇子の墓で、菊塚と呼ばれています。
讃岐府中駅から徒歩13分
*椀塚(わんづか)
崇徳上皇の使っていた食器を埋めた場所といわれています。
讃岐府中駅から徒歩14分
本日は、先日ご紹介いたしました「崇徳上皇」の第2弾です。
坂出市のゆかりの地を7ヶ所ご紹介いたします。
*長命寺跡
江戸時代の地誌「綾北問尋鈔」では、こここそが雲井御所であったとされています。
しかし、長曽我部の兵火によって焼失したといわれています。
雲井御所の名前の由来となった歌も、長命寺の柱に書かれたものだったそうです。
現在は石碑が建つだけとなっています。
坂出駅から車で約15分
*鼓岡神社
崇徳上皇が御所とした木ノ丸殿があった場所です。
雲井御所からこの地に移り約6年間、都からの便りを待ち望みながら
1164年に崩御されました。
その後、崇徳上皇を祀ったのが鼓岡神社です。
讃岐府中駅から徒歩11分
*擬古堂
1913年に崇徳天皇750年祭の記念事業として建設されたものです。
この建物は、木ノ丸殿の雰囲気を擬して造られている為、擬古堂と名づけられました。
讃岐府中駅から徒歩11分
*ほととぎす塚
鼓岡神社の石段脇に小さな供養塔があります。
崇徳上皇が過ごしていたころ、ホトトギスの鳴き声を聞いて都をしのび、
「鳴けば聞く 聞けば都の 恋しさに この里過ぎよ 山ほととぎす」
と詠み、これを聞いてホトトギスがさえずるのをやめたという伝説があります。
讃岐府中駅から徒歩11分
*内裏泉
鼓岡神社のすぐ北にあり、崇徳上皇の飲料水として利用されていた井戸と
伝えられています。
この水を使うと目が悪くなるといわれ、地元の人も使わず大切にしていたそうです。
讃岐府中駅から徒歩12分
*菊塚
崇徳上皇と綾の局の間に生まれた皇子を顕末(あきすえ)と名付け、
菊の紋をつけて綾の局の父、綾高遠に賜り綾家の跡継ぎにしたといわれています。
この皇子の墓で、菊塚と呼ばれています。
讃岐府中駅から徒歩13分
*椀塚(わんづか)
崇徳上皇の使っていた食器を埋めた場所といわれています。
讃岐府中駅から徒歩14分
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